論文を読まない:少女文化例会と『ぼくらのよあけ』

あ、っと言う間に7月になりました。皆さまお元気でしょうか。全然更新しないままになっておりますが、水面下ではそれぞれ委員が色々と動いております。発行が遅れております『コンテンツ文化史研究』5号は今月中には皆さまのお手元に届くことかと思います。今回も充実した内容となっております!と編集担当ですので、自分の担当分について述べておきます。

さて、もう先月になってしまいましたが本学会の2011年第1回例会「「少女」の歴史、ときめきの軌跡」が開催されました。114名もの方にお越しいただき、委員ともども喜んでおります。会場にお越しいただきました皆さま、また当日、素晴らしいご発表をいただきました嵯峨景子さん、塚口綾子さん、沼田知加さん、パネルディスカッションでご登壇いただきました植木ルミ子さん、ありがとうございました。女子大で開催し(そして委員全員、入口で止められ)、テーマが少女文化で、登壇者が全員女性という全てにおいて本学会として初めてのことばかりでした。

当日のtwitterの様子は以下をご覧ください。

また4gamer様、ねとらぼ様がニュースとして取り上げてくださいました。ぜひご覧ください。

とここで終わると久しぶりの更新が業務連絡のようになってしまいますので、最近読みました漫画の話でもいたしましょう。『コンテンツ文化史研究』4号にてインタビューをさせていただきました今井哲也さんの新作『ぼくらのよあけ』が先月末に発売されました。

ぼくらのよあけ(1) (アフタヌーンKC)

表紙を見てもお分かりのようにひと夏のジュブナイル的な内容になっております。描かれるのは2038年の日本を舞台とし、小学生の主人公たちをめぐる近未来SFです。しかし、ここで非常に面白いのが近未来という時間軸的だけを取り上げればこれから先を指向しているのに対して、作品を読む読者としての自分はノスタルジーを志向してしまうことでしょうか。現在を基点とした場合、描かれている時間軸と読者の志向が正反対を示すということです。これを成し得ているのは、前作『ハックス!』でも見られた作者のたぐいまれなる描写能力でしょう。細部に真実が宿るという使い古された言葉を使うまでもなく、未来が描かれながらも小学生の言動や所作といった点は我々が子供のころに通過してきたものです。これらが見事に底流していることによって近未来SFというものがこれほどまでに身近な作品として昇華しえているわけです。

そういえば「少年文化」というのも(研究として)興味深いものかもしれませんね。と少女文化例会の話と無理やり繋げながらおしまいにします。今回は論文を読んでいるわけではないのでタイトルは「論文は読まない」でした。